今日はコーチという指導者の立場でなく、新6年生になる次男坊の父親としての気持ちを書き残しておこう。
いつも通りであれば、この3月の中旬の卒業ドッジ記念大会を最後に新チームに以降している時期。
本来のスケジュールであれば、この週末は群馬県で新チームとして最初の大会に参加予定であった。
4月も市内チームとの交流戦、神奈川県の大会にも参加を予定していた。
5月の連休も1日練習を組んで、連休明けの県の新人戦に挑むスケージュールだった。
本来ならば、今ごろは個々の基本スキルの確認・向上させながらラインの配置なども検討していただろう。
しかし、現実に今は練習再開の目途すらついていない。
次男坊が入団したのは1年生の12月。
まだ1年生だった次男坊はドッジボールが保育園の頃から大好きだった。
もともと私に似て身体が大きいこともあり、夏に開催された地区の育成会(子供会)のドッジボール大会でそれなりに活躍できたことがうれしかったらしい。
学校で体験会のチラシをもらって帰ってきて、週末の日曜日に参加したい!との訴え。
「ドッジボールのチームなんてあるんだなぁ。
みんなでワイワイ楽しくドッジボールをやってるんだ」
競技ドッジボールを知らない普通の父親の一人であった私は次男坊を連れて体育館へ。
そこには見知っている上級生も何人かいた。
しかし、そこには見知らぬドッジールがあった。
初めて見る黄色と黒の公式球。
とても小学生のボールとは思えない当時の6年生の球速。
その速球を膝をついてキャッチする横一列の守備体型。
「よければいいのに。。。」
普通の父親の1人であった私が最初に思ったこと。
「全国大会を目指しています」
学校のグラウンドで「命あり」とか「顔面セーフ」とか言っていたドッジボールの全国大会??
初めて知った世界だった。
その日のうちに入団届にサインをして、カミさんには事後報告。
どっちみち、子どもがやりたいということは何でもやらせるんだから。
休み時間のドッジボールではそれなりに活躍できる次男坊。
しかし、入団まもない1年生は大会に出ても秒殺。
2年生になると分殺
その年の夏。チームは初めての全国大会の舞台に。
しかし、その当時2年生だった次男坊はベンチに入れなかった。
チームで最年少だった次男坊だけが応援席からカラーコートを見ていた。
「固いのかな?やわらかいのかな?」
自分より後から入団してきた3年生たちがベンチとはいえコートに立っている姿を寂しそうに見ていた。
当時、4年生だった女子メンバーが試合を終えて戻ってくると次男坊に言ってくれた。
「私たちが必ずHを全国大会に連れて行くからね。その時は一緒に闘うよ。」
嬉しそうな次男坊の笑顔。
そして迎えた3年生の年。
「次男坊をオフィシャルに入れようと考えている。」
監督から告げられた衝撃。
「また秒殺にもどるだけじゃないですか?」
「うん。多分。
でもHは絶対にボールから逃げない」
その時は監督が何を言っているのかよくわからなかった。
でも、良くは分からないけど、なんとなく次男坊は認められているんだということは感じた。
夏休みを超えるころ、ようやく試合でもキャッチをする、というよりボールがすっぽり構えた腕に入ることが多くなってきた。
そして迎えた4年生。
2年生のとき、「Hを全国大会に連れていくね」と言ってくれた代が6年生の年。
「次男坊をジュニアチームに戻すから」
再び監督から告げられた衝撃。
ようやく守備にも安定感が見え始め、6年生になった彼らと1年間を共にし、ようやく全国大会を目指す1年になると思っていた矢先。
親としては複雑な心境であったけど、コーチとしてスタッフになっていた私は従うまで。
「アタッカーになれるんでしょ!!」
次男坊は親心などこれっぽっちも忖度しない。
ようやく、ボールを思い切り投げれる環境を喜んだ。
「Hが6年生になったときのことを考えれば、今はアタッカーを経験した方がいい」
1年生から入団した次男坊に対する監督の暖かい想いだった。
4年生最後の大会。ジュニアの王者と言われるチームに競り勝っての優勝で幕を閉じた。
迎えた5年生。
サブアタッカーというポジションに不満を持ちながらも淡々と役割をこなす。
そして迎えた6年生。
でも、まだスタートすらできない。
次男坊だけでない。
全国の新6年生たち。
いよいよ最後の1年を迎える新6年生たち。
これまでの先輩たちのように強くなりたい。
これまでの先輩たちの想いを引き継いでの全国大会への切符を賭けた闘い。
保護者の同じ気持ちだろう。
早く見たい。子どもたちの真剣な眼差しを。
昨晩のスポーツニュースでオリンピックの延期に対して代表内定していたアスリートのコメントが。
要約すれば
「私たちは1年延びても、精一杯の努力を重ねて最高の結果を出すだけ」
これこそがアスリートのあるべき姿だと思う。
どんな1年になるかは分からない。
でも、「精一杯の努力を重ねる」ことこそ原点であることを忘れないようにしなければ。
頑張ろう。新6年生。
支えてあげよう。全国の保護者の仲間たち。
いつも通りであれば、この3月の中旬の卒業ドッジ記念大会を最後に新チームに以降している時期。
本来のスケジュールであれば、この週末は群馬県で新チームとして最初の大会に参加予定であった。
4月も市内チームとの交流戦、神奈川県の大会にも参加を予定していた。
5月の連休も1日練習を組んで、連休明けの県の新人戦に挑むスケージュールだった。
本来ならば、今ごろは個々の基本スキルの確認・向上させながらラインの配置なども検討していただろう。
しかし、現実に今は練習再開の目途すらついていない。
次男坊が入団したのは1年生の12月。
まだ1年生だった次男坊はドッジボールが保育園の頃から大好きだった。
もともと私に似て身体が大きいこともあり、夏に開催された地区の育成会(子供会)のドッジボール大会でそれなりに活躍できたことがうれしかったらしい。
学校で体験会のチラシをもらって帰ってきて、週末の日曜日に参加したい!との訴え。
「ドッジボールのチームなんてあるんだなぁ。
みんなでワイワイ楽しくドッジボールをやってるんだ」
競技ドッジボールを知らない普通の父親の一人であった私は次男坊を連れて体育館へ。
そこには見知っている上級生も何人かいた。
しかし、そこには見知らぬドッジールがあった。
初めて見る黄色と黒の公式球。
とても小学生のボールとは思えない当時の6年生の球速。
その速球を膝をついてキャッチする横一列の守備体型。
「よければいいのに。。。」
普通の父親の1人であった私が最初に思ったこと。
「全国大会を目指しています」
学校のグラウンドで「命あり」とか「顔面セーフ」とか言っていたドッジボールの全国大会??
初めて知った世界だった。
その日のうちに入団届にサインをして、カミさんには事後報告。
どっちみち、子どもがやりたいということは何でもやらせるんだから。
休み時間のドッジボールではそれなりに活躍できる次男坊。
しかし、入団まもない1年生は大会に出ても秒殺。

2年生になると分殺

その年の夏。チームは初めての全国大会の舞台に。
しかし、その当時2年生だった次男坊はベンチに入れなかった。
チームで最年少だった次男坊だけが応援席からカラーコートを見ていた。
「固いのかな?やわらかいのかな?」
自分より後から入団してきた3年生たちがベンチとはいえコートに立っている姿を寂しそうに見ていた。
当時、4年生だった女子メンバーが試合を終えて戻ってくると次男坊に言ってくれた。
「私たちが必ずHを全国大会に連れて行くからね。その時は一緒に闘うよ。」
嬉しそうな次男坊の笑顔。
そして迎えた3年生の年。
「次男坊をオフィシャルに入れようと考えている。」
監督から告げられた衝撃。
「また秒殺にもどるだけじゃないですか?」
「うん。多分。

その時は監督が何を言っているのかよくわからなかった。
でも、良くは分からないけど、なんとなく次男坊は認められているんだということは感じた。
夏休みを超えるころ、ようやく試合でもキャッチをする、というよりボールがすっぽり構えた腕に入ることが多くなってきた。
そして迎えた4年生。
2年生のとき、「Hを全国大会に連れていくね」と言ってくれた代が6年生の年。
「次男坊をジュニアチームに戻すから」
再び監督から告げられた衝撃。
ようやく守備にも安定感が見え始め、6年生になった彼らと1年間を共にし、ようやく全国大会を目指す1年になると思っていた矢先。
親としては複雑な心境であったけど、コーチとしてスタッフになっていた私は従うまで。
「アタッカーになれるんでしょ!!」
次男坊は親心などこれっぽっちも忖度しない。
ようやく、ボールを思い切り投げれる環境を喜んだ。
「Hが6年生になったときのことを考えれば、今はアタッカーを経験した方がいい」
1年生から入団した次男坊に対する監督の暖かい想いだった。
4年生最後の大会。ジュニアの王者と言われるチームに競り勝っての優勝で幕を閉じた。
迎えた5年生。
サブアタッカーというポジションに不満を持ちながらも淡々と役割をこなす。
そして迎えた6年生。
でも、まだスタートすらできない。
次男坊だけでない。
全国の新6年生たち。
いよいよ最後の1年を迎える新6年生たち。
これまでの先輩たちのように強くなりたい。
これまでの先輩たちの想いを引き継いでの全国大会への切符を賭けた闘い。
保護者の同じ気持ちだろう。
早く見たい。子どもたちの真剣な眼差しを。
昨晩のスポーツニュースでオリンピックの延期に対して代表内定していたアスリートのコメントが。
要約すれば
「私たちは1年延びても、精一杯の努力を重ねて最高の結果を出すだけ」
これこそがアスリートのあるべき姿だと思う。
どんな1年になるかは分からない。
でも、「精一杯の努力を重ねる」ことこそ原点であることを忘れないようにしなければ。
頑張ろう。新6年生。
支えてあげよう。全国の保護者の仲間たち。