昨日、メンバーとなっているSNSのグループ内で議論となるテーマがありました。

トピ主の主張は、
「指導者が怒ることによって選手が委縮してしまい、いいプレーができない。
 育成年代の指導者は『褒める』ことによって選手の個性を伸ばすべき。」というもの。

肯定意見80%、反対意見20%くらいといったところ。

『怒る』
読み方は「オコル」・「イカル」。
英語で訳すと angry  感情を表す単語です。
怒るとは、その人の感情を表すもので、指導にとって「感情」は不要なものと思います。

同じような言葉に『叱る』というものがあります。
英語では scold でしょうか。
しかし、この単語には「懲らしめる」といった意味も含まれており、指導における「叱る」というのと少し違うと感じます。
私のイメージの「叱る」は lead 「導く」の方が近いような気がします。

怒る必要はないと思うのですが、「叱る」ことは小学生のような育成年代においては大切なことだと思っています。

どういうところで叱るのか?

やってきたことをできないことを怒るのはもってのほか。
また、「できない」ことを叱っても可哀想です。
「できる」ようにするようのが指導者の仕事です。

しかし、やってきたことを「やらない」のと、できることを「やらない」のは叱らなければなりません。
「できる」か「できない」かは、挑戦の結果です。
しかし、「やらない」は挑戦しないこと。「できる」か「できない」かの結果を得ることができません。

これをしっかり叱らないと、
①いつまでも「やらない」選手になってしまい、成長が見込めない
②一生懸命、何度も失敗しても挑戦する選手のモチベーションが保てない
など、マイナスの点が多すぎます。

これまで4年間、小学生を指導してきて感じているのは、
「最近の子どもは『叱られる』ことと『怒られる』の意味の違いが分かっていないなぁ」ということです。

『怒られる』のは相手の感情の問題なので、相手の感情が収まれば解決。
自分の進歩は何もありません。
また、冒頭のトピ主さんのように、「怒られないよう」(指導者の機嫌を損なわないように)に言われたことしかできなくなります。

しかし、『叱られる』というのは改善を求められているのです。
こう言うと前向きな表現なのですが、恐らく子どもたちからすると「改善を求められる」というのは、「自分がいけない」=×と考えてしまう子が多いと感じます。
○か×かが大事なのではなく、「何を変えるべきなのか?」を考えるよう『導く』ことが「叱る」には必要だと思います。

最近、「褒めて伸ばす」という指導方法が注目されています。
それ自体は私も大切なことだと感じています。
しかし、褒める=叱らないではないのじゃないか?と思うのです。

まぁ、こんなことを考えながらSNSグループの意見を眺めていました。

さぁ、翻って自身のこれまでの指導はどうか???

うーん。。。。改善すべき点が沢山ありすぎます。。。('A`|||)